しました。
一冊ずつ自分で買って読んでいきたいと思っていたのですが
久々に会った知り合いが私より若干早くygoに嵌まっていたようで
無理矢理お家に泊まり込んで徹夜で文庫版13~22巻を読ませてもらいました。(迷☆惑☆王)
晩御飯とチロルチョコを苦し紛れに奢ったから許してほしいんだぜ…。
以下王様と相棒の別れについて思うこと。
(文庫版の感想のページで語るべきなんですが気持ちが鮮明なうちに書いておきたいので書かせてもらいます。)
別れのシーンを読んだ感想は切ない・辛いっていうマイナスな気持ちにしか沸いてこなくて、
なんでだと自分なりに考えてみたところ、王様と相棒が次に会える保障が全く無いからだという結論に至りました。
例えば、もし本編中に杏がダンスの勉強のためにアメリカ留学する事になって空港で皆で見送るとか、
城之内がもっと強い決闘者になるために武者修行に出るぜ!とか言ってどこかに旅に出る
なんてエピソードがあったとしても、お互いに世界のどこかで生きている限りはまた会える訳で
別れる時に次に再会した時の成長した姿に想いを馳せる事も出来ます。
別れを通してお互いの未来を見つめられるのです。
でも、王様の場合は冥界の扉の向こう側という遊戯達のいる世界とは完全に違う場所へ行ってしまうし、
王様と現世を繋ぐ千年パズルも遺跡の中に埋もれてしまって(恐らく)、二度と手にすることは出来なくなってしまうので
再会するための手段が完全に絶たれてしまいます。
そうすると王様の現世での居場所は、現世で関わった仲間達の記憶の中だけになります。
この感情は、誰か大事な人と死という形で離別する時の感情に近いな…と思います。
人の記憶は生きている限り常に新しいものが脳に増えていき、古いものは次第に薄くなる・あるいは消えていきます。
相棒だって、程度は分からないけど王様といた記憶に少しずつもやがかかっていくのは避けられない事だと思います。
(決闘者として戦う限りは、きっと戦いの中に王様の面影を思い出したりするはずだから
完全に忘れるなんて事は無いと信じてますが…(それなんてヒカ碁))
それを考えると、相棒と王様の別れはお互いを空想して記憶に囚われる事しか出来なくて
どんどん自分の内側に閉じこもってしまうのではとか考えてしまいました。
…なんか社長が俺は過去に囚われない!的な似たような事を演説してた気がしますw
とりあえず、22巻を読んで一晩経っているにもかかわらず、なんかへこんでしまう気分の正体は
大切な人を亡くした、という状況の疑似体験をしていて、気持ちの整理が付かないためだと思います。
のめり込み方が危ないだなんて知ってるzeeee
そんな事を考えていたら生まれたなぁにこれぇな妄想↓(死ネタ臭いので伏せる)
年老いた遊戯は、老衰のためにすっかりぼけてしまって、身の回りのことも満足に出来なくなり、
感情の表現も乏しくなる一方で、大好きなゲームなんかも全くやらなくなっていました。
ある日とうとう息を引き取るという時を迎える事になり、家族や孫に囲まれた老遊戯は走馬灯を見ます。
沢山の記憶の中に若かりし頃のM&Wに熱中していた自分を見つけ、そこで忘れかけていた王様と再会。
あくまでイメージの中の存在であるはずなのに、なぜか王様の存在感を鮮明に感じる老遊戯。
そこへ孫がこれよくじいちゃんが遊んでくれたカードゲームだよ、なんて言いながらM&Wのデッキを持って来ます。
朦朧としながらカードを視界に収めた老遊戯はゆっくりとカードに手を伸ばし、
微かに幸せそうな笑みを浮かべながら息絶えていったのでした。
…ほんとなぁにこれぇ…
とあるドラマの影響であの世で結ばれるエンドに結び付けがちな自分がいます。
ちなみに王様のイメージを鮮明に感じられたのは老遊戯が三途の川を渡りかけているためです。
妄想はこの辺にしといて
原作を読む以前から、王様がどこかに帰ってストーリーが終わるのはMADを通してなんとなく知ってたんですが
過程を知ってからはさらに内容が分かるようになって楽しいです。ygoワールドは奥が深いなぁ…。
一晩で何としても最後まで読みたくて古代編を読むのは駆け足で済ませてしまったので、
自分で買った時には改めてじっくりと読みたいです。特に褐色になりたての時のうろたえる王様の辺りを^^
それにしてもリアルで同じジャンルのヲタトークしたのが●年ぶりという位に久々で楽しかったw